夕鶴inロシア

C763E571-0A99-4BC5-B244-730F451A8D25ウラジオストクに入りました。
ここまでの稽古、行程を支えて下さった全ての皆様に深く感謝致します。

今回は取材を受けることも多くありました。話し下手な私の話に耳を傾けて下さった方々にも御礼申し上げます。様々な質問を頂きましたが、こちらにも主たるものを残しておこうと思います。


Q.『夕鶴』という演目(または「つう」という役柄)への思い、どのように歌い(演じ)たいか?

このオペラは、日本のオペラの中で上演回数の最も多い作品です。「つう」は、これまで日本を代表する多くのソプラノ歌手が歌ってきた役でもありますので、楽譜に向かう度、いつもに増して身の引き締まる思いが致します。
團伊玖磨先生がお亡くなりになる少し前に、私は九州交響楽団の皆さんと「つう」の2曲のアリアを演奏し、先生にリハーサルから聴いていただいたことがあります。またその際にお食事などもご一緒させていただく機会があり、私にとっては大切な思い出ですが、その時の先生の言葉を胸に、そして何より、先生の楽譜に描かれている「つう」を音で表出させていけたら、と稽古を重ねております。

つうは鶴の化身ですが、この音楽からは、人智の及ばぬ大自然の化身であるようにも感じます。守るべきものがある時には、野性的な激しさを持って闘う鶴の気性、強さもまた音楽の中に現れるのを歌う度に感じます。
肉体を媒体に音を奏でる声楽、オペラにこの題材を選ばれたことが、オペラ夕鶴の大きな成功に繋がっているようにも思われます。


Q.ロシアの皆さんには、どんなところに注目をしていただきたいか?

このオペラは見る人によって、大変様々な見方、捉え方、テーマが浮き彫りになる作品です。それは例えば、「経済至上主義への問いかけ」であったり、物事の本質を見極め損ねる恐れがある「人間の欲」対「絶対的な自然の摂理」ということであったり、またこのお話の根底には「異類婚姻譚」があるわけですが、そうしたタブーや異民族異文化との遭遇であったり、はたまた、幼い子が見れば「約束を守らないと取り返しのつかないことが起こるんだなぁ」といったことかもしれません。
そうした多くの要素を、昔から伝わる「民話」を題材とすることで、時代を超えて受け入れられる普遍的な作品になっていると同時に、「無常」を受容することに纏わる日本人の美意識が、まるで削ぎ落とされるがごとく描かれていることに着目していただけたらと思います。


Q.このオペラで伝えたいこと(このオペラが伝える核心だと考えているところ)は?

私自身は媒体に過ぎないので、私を通してこの作品を多面的にご覧いただけたらと思っていますが、この音楽と向き合っておりますと、生も死もまたこれ日常とする、生きとし生けるものの絶え間ない日々の営みの連鎖や、そのささやかで何気ないものにこそ宿っている尊さ、スケールの大きさに、圧倒される思いが致しております。


Q.ロシアの皆さんへ一言。

ロシアの皆さまと「夕鶴」を共有するために、日本のクラシック音楽シーンの土台として日夜心を砕いてくださる素晴らしいスタッフの皆さんと一緒に、出演者一同準備を進めております。

例えばロシア民謡を聴いて私達日本人もどこか懐かしいような郷愁を覚えるのと同じように、きっと、日本調のメロディが織り込まれているこの作品も、初めて聞く他国の方々にとっても追憶を震わせる何かがあると思いますので、是非多くの方に足をお運びいただけたら幸いです。

2019.3.3 work