この度、AKASAKA Voice Health Centerが合同会社となり、
社名を Akasaka Voice Health Center に変更いたしました。
今後とも、何卒よろしくお願いいたします。
上記に伴いまして、
今後の活動は、下記のHPから発信させていただくこととなりました。
折々に、ご覧いただけますと幸いです。
https://akasaka-voice-health-center.com
photo by Arata Kato ©︎2023 Akasaka Voice Health Center LLC. All Rights Reserved
長らくお付き合いしている難病についてお話することは、未だよく知られていない病だけに勇気がいることでしたが、
情報を必要とされている方々に届くことを心から願い、
また、お一人でもが多くの方が知ることによって研究や治療法が発展することを祈りつつ、
私自身の体験を少しずつnoteにてオープンにすることにしました。
「誰でも、もしかしたら明日、なる可能性があるのですから、それはきっと社会の役に立つと思います!」
入院中、お世話になった看護師さんの言葉も後押しになりました。
私を支えてくださる皆様に感謝を込めて、少しずつ書き溜めたものを繋げて、宛名のないお手紙を書きました。
note:「脳脊髄液減少症と舞台と」https://note.com/tomatoes_8/n/n1acde1647735
病気に関する説明や詳細はnoteをご覧いただくことにいたしまして、
演奏活動に関わる部分など一部をこちらに記載させていただきます。
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– お話を始める前に
2月にLigeti: Mysteries of the Macabre(川瀬賢太郎マエストロ指揮・神奈川フィルハーモニー管弦楽団)を聴きにきてくださった皆様、関係者の皆様に深く御礼申し上げます。また、出演することが叶わなかった19日のコンサートでは、関係する皆様にご心配とご迷惑をお掛けしましたことを心よりお詫び申し上げます。主催である東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団様からは、大変温かいご対応と深いご配慮いただきました。病名や症状について「脳脊髄液減少症(漏出症)による症状の悪化により」とご説明できれば良かったのかもしれませんが、病気への一般的な理解が進んでいないこと、また個人的な情報ですので、今回は病名など事情を公表しないことにし、「体調不良」ということで発表していただきました。しかしながら、その後、故意に病気に関わる情報を流出させた方がいらしたため驚き、戸惑いました。ただ、そのことにより翌日から始まったMacabreの稽古では譜面から炙り絵のように読み解けるものがあり、作品の世界へもう一段引き摺り込まれてゆくこととなりました。共演者の皆様の温かいお支えと途轍もない力の中に加えていただき、22日の本番は生きた心地のしないような何か、音の表現者の髄に襲われるような時間となりました。
この作品はアンチオペラのアンチ、ということですが、実演の機会をいただく度に作品から秘密のメモを預かる気がします。これについては近しい友にだけ、こっそり話するに留めたいと思います。いずれにいたしましても、多様性に基づく人権が尊重される昨今において、プライバシーに関する情報を公開するか否かの選択は本人によるものであること、いかなる理由があろうとも、どのような状況や立場の方にも例外はなく、侵害されてはならない権利であることを関係各所にて確認いたしました。人それぞれの事情というものは、想像することは出来ても決してし切れるものではないこと、どんな状況下にある者も工夫を重ねることによって社会参加が可能となるようルールが存在しているのだなぁと。
今回、難病の有る無しに関わらず、古くからの友人や”音”を通して交流してきた方々とそれらを難なく共有できたことで、先人達の「より良い未来に」という願い、築いた礎の上に幸運な人生を歩ませていただいたことをあらためて実感し、只々感謝の念が湧きました。これからも固定観念に対してニュートラルでいることに努めたいと思います。また、刻々と変化する世情の中でも本質を見据えている方々との繋がりを大切にし、物事の”ご縁”の行末に興味をもちつつ生きられたらと思います。
ー中略ー
– 人間の世界は光だらけ〜羞明
2月の公演後、状態は一層悪化してゆきました。”生命維持機能が落ちていく感じってこういうことなのかなぁ” と、肉体はてんやわんやだったと思うのですが、不思議と思考は静かに働いている感じでした。
5月には九州での本番もあるのだから、そこに向かって早く動けるようにならなくては・・・ということで半年待たずに9回目のブラッド・パッチを受けました。ー中略ー
横臥療養が明けても暫くは空を見上げることができませんでしたが、だんだんと羞明症状も改善してゆきました。サングラスを通してではありますが、夕方の月、星、雲を見られたときの心は、とても静寂なものでした。
“状況に応じて、淡々とまた工夫をすれば良いんだな” と。
– 音は生まれては消えてゆくものでしたネ
今はひたすらに、九州交響楽団の皆様と一緒に音を奏でられるよう、本番に向けて調整をしています。私を支えてくださる方々のお力と、歩みと、澄み切った心を大切にいただいて、ただ音のことに専念しようと思います。秋にも幾つか演奏の機会をいただいていますので、そこまで最善を尽くします。そして、舞台で演奏する仕事については一段落とし、今後の”音”との関わり方について模索する心づもりです。私にとって”音”は、花火のようにその時々を彩っては消えていくもの。消える際の色の変化や、音のない”間” に心惹かれるのは、「音楽」が生まれる前の根源的な世界への憧憬でしょうか。寡黙な歌い手のままで “いつの間にか消える” が一番でしたが、このような流れとなりました。区切りとなりますので、まずはひとえに感謝を申し上げたいと思います。
改善点が見出せないような、納得できる演奏をしたことは一度もありませんが、およそ30年となる舞台経験の中には、体調面の工夫も含めてやりきったと思えるかけがえのない舞台がありました。
舞台で歌うことで収入を得るなんて全く想像もしていなかったことですが、ひと時、音の命を共有してくださった方が一人でもいらしたとしたら、私のようなものに関わってくれた方々への恩返しになるのかな、と思います。
– 還元・変幻
ろくな恩返しもせずに一段落とは鶴に怒られそうですが、2019年の「松風」公演後、仕舞いの時を見極めていたところでもありました。
人にお世話になる身ですのに恐縮ですが、実は、若い頃から心のままにやりたいことは直接的に人のお役に立てる仕事・医療福祉関係のお仕事で、縁が繋がり5年前に声のクリニックの設立に至りました。運営や声の研究、アドバイザーなど務めてきましたが、更なる勉強を含めこれらは変わらず継続いたします。発信のための作業は、光る画面との格闘になってしまうので、今後はスタッフが代筆(代打?)という形でも協力してくれることになりました。不定期更新となりますが、今後ともどうぞよろしくお願いたします。
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R.Vaughan Williamsについては、こちらに文章を書きました。
ご覧いただけましたら幸いです↓
2020年11月13日に東京オペラシティコンサートホールで行われました
東京シティフィル第338回定期演奏会に出演させていただきました。
歳を重ねるごと、思いを言葉にすることに時間を要しておりますが、
兎にも角にも、このような演奏会に参加させていただきましたことを
関係者の皆様に感謝申し上げたく文字にする次第です。
この度皆さんと演奏させていただきましたのは、Berg:Der Wein。
元々はBerg:Drei Bruchstücke aus der Oper “Wozzeck”の予定でしたが、
『クラシック音楽公演における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン』や
会場の感染予防対策ガイドラインから曲目変更となりました。
今まで全くご縁のなかった曲ですが、幾つかいただいた曲目案を検討する中で、
最も興味を惹かれてしまい、今回はこの曲に取り組んでみますと返答しました。
冒頭の和音を聴いただけで、これはやらずにはいられないよなぁ・・と。
難曲の初出しということもあり、リハーサルや本番では、実際に音にしてみて知るこの作品の面白さに興奮し、
新たなに気づきに脳がバチバチと音を立てるような、演奏家冥利に尽きる3日間でした。
本番翌日も「次のリハではこうしてみよう」と、試してみたい発想の数々と共に頭の中を曲がグルグルグルグル・・
まるで「ぶどう酒」のひどい二日酔いのようでした!
底無しの魅力を有するこのベルクの作品を、卓越した演奏家の皆さんとのアンサンブルで初体験できましたこと、
また、ロシア「夕鶴」公演でも音を通じて温かくサポートくださった奏者の皆さん、
心ある対応をしてくださったスタッフの皆さま、稽古場の雰囲気を和やかにしてくださるピアノの巨瀬さん、
そして尊敬するマエストロが与えてくださる絶対的な安心感の中で、
この度もただただ音楽に集中させていただきましたことなど感謝は尽きません。
2019年ロシア「夕鶴」公演については、
これもまた、容易に言葉に表せない程の経験となったためにブログなどで多くをご紹介できなかったのですが、
ウラジオストクとサンクト・ペテルブルクでの計3公演を
高関マエストロとシティフィルの皆さんと演奏させていただくことができ、
カーテンコールで思いもかけずスタンディングしてくださっている客席を目にした時の
鳥肌の立つような思いを一緒に経験できましたことは、演奏家人生の宝です。
コンディションに最善を尽くすために、皆さんと多くの会話を持てたわけではありませんでしたが、
音を通し、多くのことを共有できたことは、今でも大きなエネルギー源となっています。
今回は新型コロナウィルス感染対策の正解が明確ではない中で、
リハーサルや本番で歌わせていただくことに複雑な心境もありましたが、
皆さんに何かあっては大変・・と、リハーサルではいつもより前方に立ってしまう私に、
すかさずスタッフの方々がお気遣いの声がけをくださり、心にしみました。
2月の広島『松風』以来、9ヶ月ぶりのオーケストラとの共演となりましたが、
感覚的なことをこれまでの経験で補いながら練習して迎えたリハーサル初日は、
感慨深いものでした。
久しぶりに側で聴く楽器の音。これまた感じたことを言葉にはできません。
今年は、またこれまでとは大きく異なる条件の中で鍛錬することになりましたが、
それによって新しい発見にも多く出会い、興味深く濃厚な一年になりました。
これら全てをまた日々の練習に繋げて参りたいと思います。
https://www.japanarts.co.jp/news/news.php?id=5006
●今、何を想い、どのようなことを考えているか。自由にメッセージを。
世の中の大変容、人間の可能性を見てみたい。朝、目覚めることが出来る度に、
尊厳を持って生きられる幸運と偶然に感謝しつつ、生へのエネルギーが
未だかつてなく湧いているのを感じます。
置かれた条件の中で出来得ることを淡々とやる、そのことにはやはり変わりがないのだなぁとも、
あらためて思います。変わってゆくもの、変わらずにゆくもの。人間のありのままの姿と、
世界変容の行方を目の当たりに出来る稀な時代に命があることが有難い。
自然に対する畏怖の念を抱きつつ、科学や経済など、これまで以上に様々アンテナを張り、
自由に生きたいと思っています。
また、繰り返されるウィルスの猛威と共存の歴史を振り返れば、人間の生の力強さも思い知ります。
生を考える「場」であるクラシカルなアートが、一層の精神性を蓄えて再現される機会を想像する時、
その営みの循環の小さな塵葉であることに、深遠な喜びを覚えます。
●リラックスの方法 (日々どんなことをして過ごしているか、など)
2月の広島『松風』後に、近所の花屋で苗を買い足し趣味の園芸にいそしんでおりましたので、
今はてんこ盛り気味の花や植物をチラチラ見ながら、家事や散読(社会科学、自然科学系)、
愛犬とのキャッチボールが何よりのリラックスです。
再び広島に滞在しております。
松風の稽古に没頭する幸せな毎日です。
年末の音楽稽古の帰路、新神戸で途中下車し、
松風ゆかりの地、須磨を散策しました。
一緒に舞台を創ってくださっている皆さまと共有するため、
取り急ぎではありますが写真を掲載いたします。
「松風村雨堂」は、平安時代の多井畑の村長の娘「もしほ」(松風)と「こふじ」(村雨)が
在原行平を慕い建てた庵の跡です。
月見山駅下車徒歩7分程。
お堂までの道は閑静な住宅街。海に程近い細い道、幼少期に住んでいた浜寺(大阪府堺市)を思い出しました。
車通りのある道に出ると案内がありました。
松風村雨堂の入口に立つ石碑。横に和歌が彫られています。
中納言行平 立ち別れいなばの山の峰に生ふる 松としきかば今かへりこむ
現在の須磨離宮公園付近の「稲葉山(=月見山)」という説あり。
<松風村雨堂>(神戸市地域史跡)
松風村雨の二人の姉妹は、謡曲「松風」を初め多くの文学にとりいれられ、
次のように伝説が広く世に知られています。
『平安時代前期(九世紀中頃)在原行平が、須磨の地で寂しく暮らしていた時、
潮汲みに通っていた多井畑の村長の娘である姉妹に出会った。
その時、松林を一陣の風が吹き抜け、娘たちの頬を通り過ぎ、にわか雨が黒髪にふりかかった。
そこで行平は娘達に「松風」「村雨」の名を与え、仕えさせた。
やがて許されて、行平は都に帰ることになり、小倉百人一首で有名な
立ち別れいなばの山の峰に生ふる
松としきかば今かへりこむ
の歌を添え、姉妹への形見として、かたわらの松の木に烏帽子、狩衣を掛け遺し、
都に旅立った。
姉妹は、行平の住居の傍らに庵を結び、観世音菩薩を信仰し行平の無事を祈っていたが、
後に多井畑へ帰りわびしく世を送った。』
「古今和歌集」にある
田むらの御時に、事にあたりてつのくにのすまといふ所にこもり侍りけるに、
宮のうちに侍りける人につかはしける
わくらばに問ふ人あらばすまのうらに もしほたれつつわぶとこたへよ
という歌から、行平が須磨にわび住まいをしたことは事実と思われます。
現在の観音堂は庵の跡ともいわれており、伝説にちなんで、稲葉町、衣掛町、松風町、村雨町、
行平町などの町名がつけられました。
平成二十年三月
神戸市教育委員会 須磨区役所 西須磨協議会 松風村雨堂保存会(説明板より)
時の流れ方が異なっているような史跡内。
観音堂。
供養塔。
行平が手植えしたと言われる松。
烏帽子と狩衣を掛けた松。三代目。
<謡曲「松風」と松風・村雨堂に磯馴松>
謡曲「松風」は、宮廷歌人在原行平が須磨に流された折、姉妹の海士女(あまおとめ)を愛した話を基に、女心の一途な恋慕や懊悩の姿を幽玄の情趣で表現された叙情豊かな名曲である。
須磨の浦で、いわくあり気な松を見た諸国一見の旅僧は、海士女 松風・村雨の旧跡と聞き念仏して弔う。乞うた宿の二人の乙女は「恋ゆえに思い乱れ世を去った松風村雨の幽霊である」と告げ、形見の烏帽子、狩衣を着て物狂おしく舞い、妄執解脱の回向を請うと、二人の姿は消えて、ただ松に吹く風の音が残るばかり・・・。旧跡を訪うた旅僧の夢であった。
行平の謫居跡に彼を慕う姉妹が結んだ庵の跡が「松風・村雨堂」と伝えられる。別れに臨み行平が手ずから植えた「磯馴松(いそなれまつ)」は堂の近くにあり、古株のみが残って昔を語っている。
謡曲史跡保存会(説明札より)
立ち去り難いものがありましたが松風村雨堂をあとにし、
旧西國街道を須磨方面へ。
菅公手植えの松。
途中、諏訪神社をお参りさせていただきました。
一説ではこの神社の「諏訪」が訛って「須磨」の地名がついたとも言われているそうです。
Zu Meer…
An der küste von SUMA.
対岸は淡路島北端。松帆の浦。
来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに
焼くやもしほの身もこがれつつ 権中納言定家(藤原定家)
須磨の浦。
汐汲の合間に貝合わせなどしたかしら・・・
ひとつ、合わさったままの貝をみつけました。
海岸の真後ろにうねり立つ松。
須磨駅前到着。日が傾いてきましたが、多井畑のお墓を訪ねてみることにしました。
バスで20分程。途中、バスのアナウンスに『松風』にちなんだ名称が出てきて
なんだか嬉しくなりました。
バス停を下車してから下り坂、登り坂・・日暮れと帰りのバスを気にしながら
小走りで多井畑に到着。
お墓、ありました。小さな五輪塔がひっそりと。
<村風・村雨の墓>
この二基の五輪塔は、松風村雨の墓碑と伝えられています。
松風村雨の二人の姉妹は、謡曲「松風」を初め、多くの文学にとりいれられ
悲しい物語として有名で、次のように伝説で広く世に知られています。
在原行平は仁和2年(886年)光孝天皇の怒りにふれ
須磨の地に配流されて寂しく暮していた。その時、汐汲みに通っていた
多井畑の村長の娘”もしほ””こふじ”の姉妹をいとおしく思い、
松風・村雨の名を与え寵愛した。三年の歳月がたち、許されて
京都に帰るとき行平は、小倉百人一首で有名な
『立ち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとし聞かば今かへり来む』
の歌を残し烏帽子、狩衣をかたわらの松の木に掛け姉妹たちへの
形見とした。二人の姉妹はたいそう悲しんで庵を建て観世音菩薩を祀り
行平の無事を祈っていたが、後、多井畑へ帰りわびしく世を去った。
現在須磨には松風町、村雨町、衣掛け町などの町名が残っている。
令和元年六月吉日 正木勲(碑文より)
側には落武者のお墓群がありました。
<落武者の墓>
源平一の谷の合戦(西暦一一八四年)に敗れ、この地で自害した
平家の落武者十三名の墓と今に言い伝えられています。(碑文より)
この近くには二人の姉妹が姿を映し髪をすいたといい伝える「鏡の井」があるとのこと。
民家に侵入してしまっているのでは・・というような細い道をゆくと、ありました!
Mein Spiegelbild…
<鏡の井 由来>
仁和三年(886年)光孝天皇のいかりにふれて須磨の地に
配流された在原行平は多井畑の
村長の娘「もしほ」「こふじ」の姉妹が浜辺に汐汲に来たのにあい
「松風」「村雨」の名をあたえて寵愛した
この鏡の井は二人が姿を写した姿見の井といわれている
最後に多井畑厄除八幡宮をお参りさせていただきました。
松風村雨堂も、多井畑の墓碑、鏡の井も、訪れたときには不思議と人の気配すらなく、
静かな時間を共有することができました。
2月の公演に向けては勿論ですが、年の瀬に作品ゆかりの地をひとり気の赴くままに歩き、
清々しく穏やかな締めくくりとなりました。
韓国のニュースサイトに札幌交響楽団「第九」公演の記事掲載されていると
マネージャーさんからお知らせいただきました。
https://www.liveen.co.kr/news/articleView.html?idxno=251847
そのように聴いてくださった方がいらしたこと、
隣国の記事であることにも心温まる思いです。
私にとりましても、最も心に残る第九でした。
尾高先生がリハーサルでお話くださった数々は、
今を生きる演奏家にとって確かな道しるべとなるものでした。
いただいたお言葉、演奏を続ける限り心に置き、
行く先の確認と励みにかえて、これからも淡々と練習を重ねたいと思います。
「監修、取材協力・チコちゃん」
1. Little Drummer Boy – Mint Condition
2. Merry Christmas Baby / Give Love On Christmas Day – John Legend
3. Have Yourself A Merry Little Christmas – Eric Clapton
来年2020年2月に、細川俊夫作曲『松風』を演奏させていただきます。
出演に際して、寄稿、インタビュー依頼を受けましたので、Blogの方にも掲載させていただきます。
最も大切に思う作品「松風」を、再び歌う機会に恵まれましたことに深く感謝しております。ベルリンにて初演を拝見した時の畏怖の念は、今も変わることがありません。オペラが生き続ける先の姿を見た気がしました。
これを超す作品は無い、そう感じた舞台に挑戦出来ることは演者として最高の幸福です。2016年、サッシャ・ヴァルツの舞踊団と共に香港にてアジア初演させて頂き、得難い体験と達成感を味わいました。その「松風」を、今度は能舞台にて日本人による演出で上演させて頂けることは大変感慨深く、襟元を正す思いです。
カリグラフィーが立体的な色彩の空間を含み、美しい息の営みと音の営みとが重なりあう「松風」の音楽は、無、間といった日本の無形文化、精神性を具現化し、普遍性を伴って国際的に広く日本の真髄を伝える機会を生んでいます。諸国にて既に高く評価を得た本作品に触れて頂き、時代の先をゆくオペラをシェア出来ましたら幸いです。
…………『松風』ひろしまオペラ・音楽推進委員会広報紙「オペラ通信」寄稿
●今までも細川俊夫作品に出演されてきましたが、細川作品の魅力はどんなところにあると思われますか?
繊細な音の色彩から創造される時空間の可能性。「間」の扱い。削ぎ落とされた先に生まれる何か。和楽器を使わずして現すこれらの音と静寂、呼吸の営みは、普遍性をもって日本の無形文化の真髄に触れる機会を生み、且つ時代の先をゆく音楽作品として国際的な評価に繋がっている点。
●今回の作品の役作りで、どんなことに取り組まれていますか?
オーケストラスコアから音の役割を知り、感じ、求められる色彩を具現化できるよう練習を重ねています。原作や能に関する書物を読み深め、能を観に行ったり、謡いの方のお話しを伺うことも貴重な体験です。また、平生から着物を着るなど和物に親しむよう過ごしています。これまで国内外にて細川作品を聴く機会を多くもってきたこと、細川先生に接する時間を頂いてきたことも、全て音楽で表現する役作りに影響することと思っています。
●身体のメンテナンスや喉ケアなど、いつもいいコンディションで舞台に臨むために心掛けていることはありますか?
自分の身体の事情に合った健康維持方法でもって日々微調整、軌道修正を重ねることを優先事項に上げています。最新の情報にアンテナを張り、身体や声帯に関する疑問はその都度知識に変え、次の練習で実験、分析。それらの日々の積み重ねを生かせるよう、フィジカルトレーニングや自律神経調整に取り組む等、確率を1%でも上げられるよう工夫の継続に取り組んでいます。
●能が原作のオペラを初めて観る人に、メッセージをお願いします。
「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな 」観阿弥、世阿弥が残した有名な言葉「初心忘るべからず」の意味と仕掛けの一端を知り、時にオペラという別媒体で現れることまでも仕組まれていたのでは、と一寸思い馳せたりします。古の日本に住う人の魂と、現代の日本に生を受けている私達の交信の場が、今回の舞台には浮かび上がってくることと思います。初のオール日本人スタッフ・キャストによって創り出される広島公演、立ち合い人のおひとりになって頂けましたら幸いです。
………… 『松風』広島情報誌 TO YOU インタビュー
「声のクリニック赤坂」として監修及び取材協力させていただきました、NHK「チコちゃんに叱られる!」が放送となります。
2019年12月13日(金)19:57- NHK総合
2019年12月14日(土)08:15- NHK総合
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