R.Vaughan Williams

2011年秋、秋山和慶先生の指揮・広島交響楽団で、初めてヴォーン・ウィリアムズの作品、交響曲第7番「南極交響曲」を演奏させていただいたことに続き、昨年は交響曲第3番「田園」と「Dona nobis pacem」を、東京シティフィルハーモニック管弦楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団の皆さんと演奏する機会に恵まれました。日本で取りあげられる頻度としては高くはない作曲家の、この名曲たちに携わることができたことは大変幸運でした。

昨年シティフィルの定期の際には、2つの「田園交響曲」が演奏されるという、珍しいプログラム構成で演奏されました。郊外の田園風景に安らぎを求めて作曲されたと言われるベートーヴェンの「田園」に対し、ヴォーン・ウィリアムズの「田園」は、第一次世界大戦の折、自ら志願して戦地に赴いた作曲家の目にした風景が描かれています。

イギリスを代表する作曲家であるヴォーン・ウィリアムズ。パリで師事したモーリス・ラヴェルらの作風を受け継ぎつつ、第一次世界大戦前のヨーロッパにおけるナショナリズムの高まりに全てが影響される中、自国の民謡の採集、復興に力を注ぎ、その純粋な旋律を取り込むなど、独自の作風を確立。この田園交響曲は、1918年から1921年にかけて作曲され、1922年1月にロンドンで初演されました。一聴すると長閑かな田園風景の広がりを思う音楽に酷評も上がりますが、北フランスでの戦場にて陸軍医療看護部隊に従軍し、戦場で死亡負傷した兵士の回収、友人の死など、過酷な日々を送ったこの作曲家が見た風景を、あのような美しい音楽で言葉無く表したことが、人間の愚かしさ、哀しみを、聴くものの心に一層印象づけることに繋がっていると思われます。

その後、第二次世界大戦への人々の恐怖が増す中で、自らの経験の中から、人類への警告と平和への願いをこめて作曲されたのが、Dona nobis pacem(1936年)。こちらは田園交響曲とは対照的に大変ドラマチックな作品で、練習をしている間にも、作品から感じる願いの強さに身震いするほどでした。

1939年第二次世界大戦が始まると、ヴォーン・ウィリアムズは、ナチスの台頭によりドイツから逃れてきた難民に、ロンドン郊外の自宅を開放するなど積極的支援を行いました。80歳を過ぎても作曲活動を続け、映画音楽等多彩なジャンルの作品を残しています。

あらためて言うまでもなく、今尚、この作品に込められた願いが叶うこと許されず、凄惨なニュースが世界を駆け巡っています。そうしたことに心を傷め、また作曲家の残したものを渾身の思いで具現化される指揮者、藤岡幸夫さんと共に、先月「題名のない音楽会」で、この「田園交響曲」第4楽章の収録に参加させて頂きました。
本来は、舞台上ではない場所で演奏されるヴォカリーズですが、この度は舞台上での演奏で、その作曲効果をどのように音にするかということ、また、この春はアレルギーにより楽器の調整に苦心しましたが、「テレビでこの作品がどのように伝わるのか、もしかしたら放送には地味なのかもしれないが、こうした作品こそ広く伝えてゆきたい」という、リハーサルにてマエストロが全体に語りかけた熱い言葉の数々に導かれ、東京シティフィルの皆さんと再びこの作品の芯に触れさせていただような一時となりました。

昨年の秋は、このふたつの作品に加え、やはり戦争と平和への祈りを描いた作品、カール・ジェンキンスの「平和への道程」も、東京シティフィルの皆さんと秋山和慶先生の指揮で演奏させていただきました。
「Dona nobis pacem」の本番の日は、パリで起こったテロのニュースが駆け巡りました。
こうした作品と向かい合う時間を持つことで、私自身もまた、様々な心の動きと対峙することとなり、思いがけないところに着地したりするものだと、他人事のように自らを観察。
近きに遠きに。
年々言葉にできない思いが増してゆく中で、音の世界で仕事していることにも幸運を感じます。

2016.5.11 work